生きづらいんだったら革命家になるしかない。お前にはその資格がある
1960年の安保闘争、60年代後半から70年代初頭の学生運動の攻防など、戦後空前の盛り上がりを見せた民衆運動が低迷を始めたころ、見沢知廉は反体制に目覚めた。 1959年に東京に生まれ、幼少時代から英才教育を受け早稲田中学へ進学した見沢知廉は、同高等部在学中、演壇で教育批判をして破壊行為を行い、退学。暴走族、新左翼とひた走り、1978年三里塚闘争で成田空港占拠闘争の最前線を戦う。が、翌年に新右翼へと身を転じ、ゲリラ活動を指揮する。1982年にスパイ疑惑のあった同志を殺害し、懲役12年を言い渡される。獄中で書いた小説「天皇ごっこ」が新日本文学賞を受賞。出所後の1996年、獄中手記「囚人狂時代」がベストセラーになり、時代の寵児となる。しかしその果てに、選んだのは自死だった…。 見沢は後年、リストカットを繰り返し社会に溶け込めずにいた雨宮処凛に出会い、こう言った。「生きづらいんだったら革命家になるしかない、お前にはその資格がある」と。これは、見沢がかつて自分自身に投げかけた言葉だったのではないだろうか。日本という国家の中で彷徨い続けた見沢知廉が探し求めていたものとは何だったのか。