天皇ごっこ

見沢知廉とは?

見沢知廉 略歴

1959年東京都文京区生まれ(本名高橋哲央)。裕福な家庭で、幼少時代から英才教育を受けていたが、早稲田中学へ進学後、暴走族、既成右翼の活動に参加。早稲田高等部在学中に、演壇で教育批判を行ったのち教室を破壊して退学となる。同時期に一家は離散。友人に誘われ、ブント戦旗派に加わる。1978年三里塚闘争での成田空港占拠闘争の最前線で戦う。1979年東京サミットに決起しない左翼に失望。1980年より新右翼へ転向。1982年米、ソ、英の関係施設への砲火や火炎瓶ゲリラを指揮。同年スパイ粛正事件で逮捕。刑務所内でも反体制を貫き、原則禁止の小説

を書き続け、コスモス文学賞や全作家賞特別賞などを受賞し、ついに1994年獄中で書いた小説「天皇ごっこ」が新日本文学賞を受賞する。同年秋、千葉刑務所を満期出所。1996年、獄中記「囚人狂時代」がベストセラーに。以降は政治活動を休業し、文筆活動に専念する。1997年には「新潮」巻頭の「調律の帝国」が三島由紀夫賞候補になる。2005年自宅マンションより投身自殺。享年46歳。


著作一覧

1995年「天皇ごっこ」第三書館
1996年「囚人狂時代」ザ・マサダ
1997年「獄の息子は発狂寸前」ザ・マサダ
「調律の帝国」新潮社
1998年 文庫版「囚人狂時代」新潮文庫
1999年 文庫版「天皇ごっこ」新潮文庫
2000年「日本を撃て」メディアワークス
「母と息子の囚人狂時代」新潮文庫
2001年「蒼白の馬上」青林堂
「極悪シリーズ」雷韻出版
 文庫版「調律の帝国」新潮文庫
「テロならできるぜ 銭湯は怖いよの子供達」同朋舎・角川書店
2005年「ライト・イズ・ライト」作品社
「七号病室」作品社
「愛情省」作品社

年表

1959年(0歳)東京都文京区千駄木に生まれる。父親は芸能プロダクション経営、祖父は元新聞記者、祖母は助産婦。
1965年(6歳)親はエリートコースを想定し、越境入学で進学率の高い小学校へ。
1969年(10歳)この頃はガキ大将。ボーイスカウト、習字、オルガンなど習い事多し。
1970年(11歳)ヒトラーの「我が闘争」を読み、衝撃を受ける。中学進学に備え受験勉強。
1973年(14歳)早稲田中学に入学。フィギュア、モデルガン、切手など多くの趣味に没頭。
1974年(15歳)ヤンキーの友達の影響から非行へ。万引き、パチンコ、車両破壊などをする。既成右翼の手伝いも。
1975年(16歳)早稲田高校へ入学。
1976年(17歳)第2次石油ショックで父親の会社が倒産。進学校になじめず登校拒否。バルザックやドストエフスキーなどの小説を読み、自分も人を救う作家になることを決意。
1977年(18歳)高校2年、学期末試験で教壇に上り、試験用紙を破り「教育批判」の演説。退学処分。新左翼のクラスメイトがいてセクトに勧誘される。彼と共に教室を破壊。定時制の高校に転校し、暴走族に入る。
1978年(19歳)3月、中央大学法学部入学。成田「3・26管制塔闘争」に参加。「生きて帰れない」と感じ、処女小説「回転」執筆。新人賞へ投稿。闘争は激しいゲリラ戦で勝利し、武装闘争で社会が変わるという幻想にとりつかれる。新左翼セクトのアジト専従になる。
1979年(20歳)新左翼の東京サミット決起集会中止に失望し、セクトを止め、一年間部屋へ閉じこもり、小説を書き勉強に熱中。
1980年(21歳)11月、第10回憂国忌(三島由紀夫追悼会)への参加をきっかけに新右翼に入る。
1982年(23歳)初頭、新右翼の最過激派の連合体である「統一戦線義勇軍」とその中核「一水会」へ入る。機関紙の発行や組織化をし、武装闘争を指導。義勇軍書記長、一水会政治局長に就任。ロシア大使館、アメリカ大使館攻撃などのゲリラ活動。フォークランド紛争勃発後、<有色人種対白人><反英米>を掲げ、イギリス大使館を攻撃、火炎瓶で放火。
犯行声明をもみ消され、4人の要人テロを計画。警察は24時間尾行しアパートローラーをかけ、スパイを送り込む。9月、同志4人と共にスパイ疑惑の仲間を査問し、殺害。富士樹海へ遺体を埋める。メンバーの3人は逮捕され、1人だけ全国指名手配の警備網をくぐり抜け、神奈川県に逃走。9月27日、出頭し逮捕。11月東京拘置所へ。その後、政治論文と小説を執筆。
1983年(24歳)3月、裁判結審。求刑は無期懲役だったが、最終弁論で「政治的な事件」の主張が認められ実刑12年。川越少年刑務所を経た後、千葉刑務所へ移送。
1986年(27歳)刑務所での反抗を始める。出所まで、看守の目をかいくぐり、執筆活動。母親が清書し文学賞に応募。5月頃、昼夜独居専門舎の「11舎」へ。この頃「民族派暴力革命論」を少部数刊行。
1988年(29歳)昭和天皇崩御。恩赦は出ず。7月頃、反抗のため八王子医療刑務所へ。
1990年(31歳)千葉刑務所の11舎へ戻る。コスモス文学賞を受賞。
1991年(32歳)獄中決起未遂。執筆禁止などを巡りハンスト(絶食)。39キロまで痩せる。
1994年(35歳)春より、本省派遣の幹部、看守などに拷問の限りをつくされる。小説執筆もまた、禁止となる。10月、新日本文学賞受賞。12月8日満期出所。
1995年(36歳)出所後メディアに登場。12月、受賞作「天皇ごっこ」(第三書館)を刊行。
1996年(37歳)2月、「囚人狂時代」(ザ・マサダ)を刊行し、8万部のベストセラーに。
1997年(38歳)政治活動を休止し、執筆に専念。6月「獄の息子は発狂寸前」(ザ・マサダ)、12月「調律の帝国」(第三書館)を刊行。この頃連載は「群像」「文学界」「別冊宝島」「週刊プレイボーイ」「BURST」「創」「テアトロ」「GON!」「BUBKA」など。9月には劇団「第三エロチカ」が、これまでの半生を題材に『オイディプス、WHY?』を上演。
1998年(39歳)三島由紀夫賞候補に。父親が逝去。11月、立教大学の講演中に卒倒。以来、入退院を繰り返す。
1999年(40歳)秋、2ヶ月近く入院。
2000年(41歳)コラム集「日本を撃て」(メディアワークス)を刊行。
2001年(42歳)「テロならできるぜ 銭湯は怖いよの子供達」(同朋舎刊)、「蒼白の馬上」(青林堂刊)、「極悪シリーズ」(雷韻出版刊)を刊行。
2005年(46歳)9月7日、横浜市戸塚区の自宅マンション8階から転落し、死去。暫くして遺書が見つかる。戒名は夢翔院仁哲究廉居士。光源寺に葬られる。同年、作品社から「ライト・イズ・ライト」「七号病室」を刊行。新潮11月号に「愛情省」(遺稿)掲載。
※参考資料:「白血球」見沢知廉ファンサイト